取締役「社畜」でした。
10年ほど前、知人に誘われベンチャーの会社を立ち上げたんです。
企画マンだった私が会社のネーミングを考え、セールス企画書やシステムのマニュアルもすべて私が作っていきました。
最初は売上がゼロなので、私たち取締役がお金を出し合って、社員に給料を払っていたんです。
だんだんと売上が増えて、取締役にも少ない給料が出はじめた頃、営業部長だった別の取締役が、社長から大きなトラブルを厳しく追及され、退職してしまいました。
そこで社長は、社内で企画をするだけでまったく営業経験のない私に、その後任を命じたのです。
社員には営業マンがおらず、代わりができる取締役もいないし、要領が悪い前の営業部長よりも私が向いているからと。
そうして営業職を引き受けた私は、あまりに業務が複雑なことに驚きました。
前部長がトラブルを起こしたのは、社長が言うような能力不足ではなく、一人も部下がいない中、業務が多すぎることが本当の原因だったのです。
すぐに私は営業スタッフ増員を提案しましたが、現場がまったくわからない社長は、聞く耳を持ちません。
営業の社員を雇うなら、お前の給料を引くぞの一点張りです。
それでも私は孤軍奮闘し、顧客も増やせたものの、自分で思い描いていたような取締役ではありませんでした。
実態は、社員さんよりも低賃金の社畜。 そう、「取締役社畜」だったんです。

社畜から奴隷へ、そしてついに…
実はこの社長、「ミスはお前のせい、手柄はオレ様のせい」と責任転嫁する、パワハラ上司の典型でした。
なので、私しかできない会社の重要な仕事、たとえば・・・
会社のネーミングやシステムのデザイン、そして
システムのセールス資料の作成などは、
一切評価してくれません。
顧客を増やした私の努力も無視します。
社長に言わせると、実際には私しかできない仕事なのに「誰にでもできて当たり前」なんだそうです。
ところが逆に、ごく些細なミスや、トラブルになってないことまで騒ぎ立て、全社員の前で私を大声で罵倒するようになってきました。
社長の勘違いを説明しようと口を開きかけると、「言い訳するならクビじゃ!」と机を思い切りバンッと叩き、横の女子社員が怖さに飛び上がるほどでした。
さらにそれだけじゃなく、
胸ぐらを掴まれてセーターを破かれたり、
突然、後ろから私の頭を思い切り叩いておいて
「ハッハッハ…」と高笑いしながら去っていく
こともどんどん増えていきました。
仕事だけでなく、私の性格や人格すら否定され、
「おまえよりウチの犬のほうがまし」
とまで言われました。
社長から毎日バカ扱いされる私に、ほかの社員が協力するはずもなく、私自身も笑顔が消えて性格も暗く沈んでいき、
自信はすっかり喪失し、自殺を考えるまで
になりました。
高給取りの取締役を夢見ていたのに、平社員に降格され、ついに月給10万円の契約社員にまで落とされてしまったのです。
パワハラ社長からは、深夜に電話で長時間説教されるだけでなく、休日も社長の私用で呼び出され一日が無駄に…。
「社畜」を通り越して、もうこれでは社長の「奴隷」です。

妻からは「騙されていいように使われてるだけじゃないの?なんで転職しないの!」と
呆れられ、なじられます。
不甲斐ない親父の稼ぎが進学に影響する娘は、ものすごく不安なはずなのに
何も言いません。でも逆に、無言のプレッシャーとして迫ってきます。
それでも私が辞めずに必死でしがみついていたのは、
50才過ぎての再就職が厳しい現実と、
ここで辞めたら私が名付けた会社や、
私が作った資料がすべて他人に奪われるという悔しさからでした。
そして何より、「結果を出したらもとに戻してやる」という社長の言葉に、一縷の望みをかけていたのです。
しかしある日、いつものように「辞めてしまえ!!」と怒鳴られて
頭からコーヒーをぶっかけられ、
辞めたバイトの代わりに肉体労働に行けと言われた時、
ようやくすべてを悟りました。

会社の重要なセールス資料やシステムの操作マニュアルをいとも簡単に作れて、誰よりも安い給料で、アゴでこき使える人材。・・・それが私。ということは
そんなに「都合のいい奴隷」の私を、あのパワハラ社長が引き上げるわけがない!
私がどんなに頑張ったところで、このクソ社長は絶対に報いてくれない‼
もちろん、自分らしさを思い切り発揮できる場所でもなく、尊敬しあえる仲間もいない!!
こんな肥溜めで、奴隷のままで人生を終えるわけにはいかない!!!
妻も娘も、笑顔でいっぱいの幸せにするために、もっと上のステージへ!!!!
今とは違うまったく別の場所で、あるべき本当の自分を見つけなきゃと、遅まきながらようやく気づいたんです。
どん底からのチャレンジ
50歳を過ぎた私には転職が難しく、かといって安月給で貯金を食いつぶしていたため、起業するのも難しいのが現実でした。
しかし、「難しい」「できない」と泣き言ばかりでは、本当の自分らしさを取り戻すことなんてできません。
そこで、「副業」、なかでも大きく稼げると噂の
「インターネットビジネス」に賭けてみることにしたんです。

まず最初は、オリジナルのコンテンツ制作ビジネスに挑戦しました。
専門用語でいっぱいの分厚いマニュアルを読みながら、自分専用のブログを開設してはみたものの、なかなか結果は出ません。
というのも、記事を毎日投稿していけば、半年から1年後にお客さんがついてくるということで始めてはみたのですが、終りが見えないので毎日の根気が続かないんです。
東京への授業も数を重ねましたが、とうとう挫折してしまいました。
次にチャレンジしたのは「物販」。
中でも、在庫を持たなくて済みリスクが少ないと言われている「無在庫転売」を選びました。
アメリカのアマゾンに売っている商品を、専用アプリで情報を抜き取って日本のアマゾンに出品し、売れたらその商品を仕入れるというやり方です。
ところが突然、アメリカのアマゾンからアカウントを停止され、儲かる前に終わってしまいました。
どちらの副業も、ビジネススクールに払った授業料、東京や大阪であるセミナーや授業に出席する費用など、合計200万円以上も使いました。
なのに結局、一円も稼げずに終わってしまったんです。

運命の女神と出会う
立て続けに2つの副業に失敗し、打ちのめされていた私ですが、あるセミナーでメンター(師匠)に出会いました。
結果的に、このたった1つの出会いが、人生を大逆転する転機となったんです。
セミナーで聞いたのは、インターネットを使って1対1の対面セミナーをしていくという、今まで聞いたことのないビジネスでした。 その中身は
- ごく普通の人の考え方を、大富豪と同じ考え方に変えれる「マインドセット」
- 情報発信で稼ぐためのスキルを身につける「仕組み」
- facebookなどのSNSで、ファンがどんどん増えていく「文章の雛形」
- 見た人が自然とクリックしたくなる「集客ページ」
- 読むだけでお客様が「買わせてください」と言ってしまう「マル秘台本」
など、「できる!」「やれる!!」と思える要素がたくさんあったのです。
実際に私は、副業としてこのビジネスを始めてから、
3ヶ月めに35万円の利益を出せましたし、その後も
月100万円以上稼ぎ続けられるようになりました。
その結果、本業の会社でどんな罵声を浴びせられても馬耳東風。
涼しい顔で受け流せるようになりましたし、社長がどれだけ非効率な経営をしているかなど、具体的・客観的に判断できるようにもなりました。
また、同じビジネスを学んで、同じ副業で稼ぐ先輩や仲間に囲まれ、リスペクトしあえるようになったおかげで、完璧に自信を取り戻すこともできたんです。
そしてさらに・・・
その「インターネットビジネスのノウハウ」に加え、家電メーカーや広告代理店にいたころに何十年もやっていた「リアル世界でのマーケティングノウハウ」が大いに役立つことに気づきました。例えば・・・
- 商品の購買層や、商品そのものの骨子を決める「コンセプトメイキング」力
- 売れる商品の「らしさ」を考える「ブランディング」力
- 人にスラスラ読ませる文章が書ける「コピーライティング」テクニック
- 写真の画面構成、全体デザインや動画の構成を整える「クリエイティブ」スキル
- 文章やデザインの力で、人を行動に移させる「プロモーション」ノウハウ
- ライブで使う説明スライドや、台本を作るための「プランニング」テクニック
- 商品の中身の構成や、価格戦略、販売ルートを考える「プロダクト」アイデア力
これらを組み合わせることで、初心者でもカンタンに
「ファンが作れるノウハウ」ができるし、
それを使えば「確実に稼げるノウハウ」になる。
つまり、
「タケウチ式ファンマーケティング」と
「ラクラク集客術」
を編み出せたのです。
おかげさまで今は、日本だけじゃなく海外にも広がる30名近くもの生徒さんに恵まれ、その生徒さんと一緒に「稼げる」日々を送れるようになりました。
そう、お金も、時間も、場所も自由な暮らしができるようになったんです。
竹内誠のマーケティング・プロフィール
改めまして、起業・副業プロデューサーの竹内誠と申します。
福岡在住の61歳で、妻と大学生の娘がいます。
私のキャリアは、家電メーカーの商品企画からスタートしました。
商品のコンセプトやネーミングを考えたり、デザイナーさんと一緒に新製品のデザインを考えたりする仕事でした。

担当したオーディオ製品が、雑誌POPEYEの「デザイン・オブ・ザ・イヤー」銀賞になったこともあります。

4年間、家電メーカーにいた後は、広告業界に入りました。
最初は、キャンペーンなどの企画書を作る「プランナー」として。

さらにその後、デザイナー、イラストレーター、カメラマンなどに制作の指示を出す「クリエイティブ・ディレクター」も兼任するようになりました。映画づくりに例えると、制作チーム全体に指示を出す「監督」のような役割ですね。
電通や博報堂などの広告代理店から、ドコモやJRなどの大手企業に、広告や販売促進プランを提案・プレゼンテーションする機会を、何百回も重ねたのです。
そのなかで、TVCM、ビデオ、スチール写真、撮影、録音、照明、動画編集や、さらに印刷物のデザイン、文章を書くコピーライティングなどなど、数々の制作・マーケティングのプロのノウハウを蓄積していきました。
つまり、いまの仕事「ファンマーケティング・プロデューサー」の基礎となるノウハウをしっかり身につけることができたのです。
さらに2019年からは、facebookなどのSNSを使って情報発信し、集客〜セールスするという情報発信ビジネスのスキルも習得。
現在では、リアル(オフライン)とインターネット(オンライン)の両方のマーケティング・ノウハウをもとに、数十名のコンサル生に
「SNSでファンを作って収益化するビジネス」
であり、
「自分だけでなくお客さんも幸せにできるビジネス」
つまり
「タケウチ式ファンマーケティング」や
「ラクラク集客術」
を教えるプロデューサーとして活動しています。
いまや、日本だけでなく世界からも生徒さんが集まるようになり、
その生徒さんだけでなく、生徒さんの生徒さんも、
「自分らしさ」を武器に月に50万円・100万円…と
しっかり利益が出せるまでになりました。
つまりこの「タケウチ式ファンマーケティング」「ラクラク集客術」を身に着ければ、
コロナやAIなどで世の中がどんなに変わっていこうとも、
明るい未来に向けて、夢を着実に実現できるのです。
